日常を考える。
日常というのは、結構退屈なものである。
いつものように、朝起きて、
いつものように、仕事をして、
いつものように、食事をして、
いつものように、寝る。
特に変わったことがあるわけでなく、
なんとなく過ぎてゆく。
旅に行きたいと思って、外へ出れば、
いつもの違って全てが、真新しく感じる。
とはいえ、何もしないでブラブラもそれもまた退屈である。
何かする事があることは、嬉しかったりもする。
六親眷属が病気になる、介護が必要となる。
今こそ、恩返しだと思って頑張る。
つまり日常から非日常へ変更する。短い期間ならば、それでも良いかもしれない。
看護や介護が長期化すれば、非日常が今度は日常となる。
しかし、それはそれで今の医療体制から考えれば大変かもしれない。
親の看護といえば、有名なのは聖徳太子であろう。
「父母に孝養を尽くせ」まさに、人の道の基本中の基本。
看護中は、寝食をともに、看護する親が起きていれば起き、寝ればれる。
食べれば、食べるし、食べなければ、食べない。
現代とは、違い風邪でも簡単に死に至ってしまう時代に、
自分ことを勘定に入れず、看護することなど果たしてできるであろうか?
自信持って言えるのは、私は全く自信はない。
いつもの日常こそが、実はとても幸せな事である。
それを気づかせてくれるのが、非日常なのでもある。
いつまでも、この日常が続くわけがない。
この世は「無常」であるからである。
だとすれば、来るべき次のステージのリハーサルも
日常に組み込んでおかないと、対応はできない。
少なくとも、私はリハーサルをしておかないと不安である。
日常に感謝しつつ、次のステージを想定して非日常を過ごす。
これが今の私とっての「日常」なのであろう。



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